仏教に教えられた苦悩の根元の秘密

仏教に教えられた苦悩の根元の秘密


みんな同じところをぐるぐる回っている?

前回お話ししました、
比叡山で20年間血のにじむような
難行苦行をなされた
親鸞聖人は「苦悩の根元は煩悩ではなかった」
と、こう教えられています。

真の知識に値うことは
難きが中になお難し
流転輪廻の際なきは
疑情のさわりにしくぞなき(親鸞聖人)

「流転輪廻」は「るてんりんね」と読みます。

「流転」も「輪廻」も車の輪がはてしなく回るように
同じ所をぐるぐる回るということです。

そこに何の変化もなく、終わりはありません。
これで満足ということがない。
これで安心ということもない。
これで行き着いたということのない、
果てしない道です。

これほど苦しいことはありませんから
流転輪廻は苦しみのことです。

「流転輪廻」=苦しみ

「流転輪廻の際なきは」とは、
苦しみが際限もなく続くのは、ということです。

生まれてから今日まで、
次から次と苦は色を変えてやってきました。
今も来ていますし、今からも来ます。
死ぬまで私たちに、苦しみが際限もなくやってきます。

もっと頑張ったらいいんじゃないの?

徳川家康は天下をとって征夷大将軍になりましたが、
死んで行くとき、
「人の一生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし」
と言っています。

「人の一生は」とは、この家康の一生は、ということです。
「重荷」とは苦しみのことですから、
「私の一生は、死ぬまで重荷がおろせなくて、
 苦しみながら死んでいかねばならなかった。
 それが私の一生であった」
と家康は言っています。

「遠い道」とは、これで行き着いたということのない、
果てしのない道です。

日本の天下をとっても、
征夷大将軍にのぼりつめても、
徳川幕府を開いても、死ぬまで苦しみが次から次と、
際限もなくやってきた。

家康でさえそうですから、
すべての人が幸福になりたいと思いながら、
幸福にはなれずに次から次へと
色々の苦しみ悩みが押し寄せてくる、
ということです。

すべての人は流転輪廻の際がないのです。

なぜ苦しみばかりやってくるの?

では、どうしてすべての人が幸福を求めておりながら、
苦しみばかりやってくるのか、
親鸞聖人は次に、一言で教えられています。

流転輪廻の際なきは
疑情のさわりにしくぞなき。

「しくぞなき」とは、これ以外ない、
これ一つなんだ、ということです。

苦しみが際限もなくやってくるのは、
「疑情」のさわり一つなんだ。
苦悩の根元は「疑情」一つだ
ということです。

そんなこと初めて聞いた!?

このように、苦しみの根元が疑情一つだと教える人は、
めったにありません。

それは、

真の知識に値うことは
難きが中になお難し
流転輪廻の際なきは
疑情のさわりにしくぞなき(親鸞聖人)

と言われているように、
本当の苦しみの元は、
真の知識しか教えられないからです。

「真の知識」の「知識」とは、
仏教を教える人のことです。

その知識の上に「真の」とありますから、
本当の仏教を教える先生を「真の知識」と言われています。

どんな人が本当の仏教の先生?

真の知識はどんなことを教えられるのかというと、
「流転輪廻の際なきは疑情のさわりにしくぞなし」
と教えられます。

苦悩の根元は疑情一つと教えるのは、
真の知識だけです。
ところがその真の知識は少ないから
なかなかあうことができません。

それで親鸞聖人は、
「真の知識にあうことは、難きが中になお難し」
と言われています。

そのあいがたい本当の仏教の先生は、
すべての人の苦しみ悩みの根元は、
疑情というもの一つなんだ、この他にはないんだ
と教えられています。

ですから、この疑情がなくなったとき、
人間に生まれてよかったという生命の歓喜が起きて、
絶対の幸福の身になれるのです。

では疑情とは一体どんなものなのでしょうか。
次回お話ししたいと思います。

仏教の教えが最短最速で分かる無料メール講座

本当の仏教に明らかにされた、一切の苦しみの根本原因と、
本当の生きる意味を小冊子と無料メール講座におさめましたので、
今すぐ以下からお受け取りください。

メールアドレス:

もしあなたがこのメール講座に満足できないようなら、
いつでもメール講座の1通1通の下の部分にあるリンクから解除できます。

ただ、急ぐ必要はあります。
このような仏教界を震撼させる秘密が流出することを
僧侶も仏教学者も好みませんから、
いつまでこの情報を公開できるかは保証できません。

もしそれが起きてしまえば、どんなにお金をかけても、
どこへ行っても、この仏教の秘密を知ることはできなくなります。
今すぐダウンロードして読んでおいてください。