親鸞聖人の生きる意味のお答え
生きる意味とは?
私たちは、何のために生まれてきたのか
何のために生きているのか、
なぜ苦しくても生きねばならないのか。
これが、なぜ生きるかという生きる目的です。
本当の生きる目的を果たすと、
「私が人間に生まれてきたのはこのためだったのか」
と「生きる意味」がハッキリします。
ですから、生きる意味は、
本当の生きる目的を知り、果たすことです。
では、生きる意味の答えは?
その答えを、親鸞聖人は、
主著『教行信証』の一番最初に
こう教えられています。
難思の弘誓は難度海を度する大船
(親鸞聖人『教行信証』)
「難度海」という海があります。
「難度」とは苦しいということです。
苦しみの波が次から次とやってくる海ですから、
苦しみの海、「苦海」ともいわれます。
これは人の一生のことです。
生まれてから死ぬまでの人生です。
人間の一生は苦しみ悩みの波が次々やってくる、
難度海だということです。
すべての人は、この海に泳いでいる人のようなものです。
苦しみの波が次から次とやってきます。
そこで泳いで、死ぬまで苦しまなければなりません。
徳川家康は、これを
人の一生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし
と言っています。
「重荷」とは苦しみのことです。
天下を取っても、征夷大将軍になっても、
徳川三百年の基礎を築いても、
苦しみの重荷をおろせなかった。
死ぬまで苦しみの波がやってきた。
しかも「遠き道を行くがごとし」
果てしない道を歩き続けなければならなかった、
これが私の一生であった。
私たちからすれば、家康は成功者で、
金でも財産でも地位でも名誉でも
最大限持った人です。
それにもかかわらず、
苦しみ悩みは死ぬまでなくならなかったと
言っています。
親鸞聖人は、家康でも秀吉でも難度海なんだ。
征夷大将軍になっても苦しみ悩みの波が
おさまらないんだ。
死ぬまで苦しめるんだ。
と言われています。
王様でもホームレスでも
難度海の波は同じです。
どれだけ社会が変わっても、
科学が進歩しても変わりませんし、
何千年たってもおさまりません。
自由奔放に生きたといわれる作家の林芙美子さんは
花の命は短くて苦しきことのみ多かりき
と言っています。
楽しい時はあっという間で、
あとは苦しみの連続だったということです。
自由奔放に生きても苦しいことばかり多かったら、
色々なものに縛られてばかりで生きている私たちは、
一体どうなってしまうのでしょうか?
ますます苦しみばかりです。
そんな海を私たちは泳ぎ続けていますので、
この苦しみをどう乗り越えればいいのか、
どう泳げばいいかばかり考えています。
そうこうしているうちに、
やがて力尽きて土左衛門になってしまいます。
どう泳ぐかばかりで、
なぜ泳ぐのかという目的がないのです。
泳ぐ方角も目的地も知りませんから、
一生涯苦しんでいかなければなりません。
「人の一生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし」
家康の言った通りです。
これでは何のために生まれてきたのか
分かりません。
苦しむ為に生まれてきたようなものです。
一生は苦しみの連続ですから、
苦しみから解放されない私たちは
苦しむ為に生きていることになってしまいます。
しかし私たちは、苦しむ為に生きているのではありません。
人間に生まれて、生きているのは、重荷をおろすためです。
幸福になるために生きているんですから、
この難度海を渡る法は、誰もが知りたいことです。
その答えを親鸞聖人は?
その答えを、親鸞聖人は、
難思の弘誓は難度海を度する大船
(親鸞聖人『教行信証』)
「難度海を明るく楽しく渡す大きな船がある」
と教えられています。
それは何かというと
「難思の弘誓」だと言われています。
「難思の弘誓」とは、阿弥陀仏の本願のことです。
なぜ阿弥陀仏の本願を「難思の弘誓」
といわれたのかというと、
「難思」とは、想像することもできないということです。
みんな何の為に生まれてきたのか、
生きる目的を知らず、
どう生きるかばかりで苦しんでいます。
どう生きるかは、生き方であり、
生きる手段ですから、目的がなければ意味はないのに、
その目的を知りません。
考えても分かりませんし、想像もできません。
目的地の飛行場を知らずに飛行機が飛んでも墜落するだけです。
目的が分からなかったら、とても一生懸命生きられません。
生きるより仕方がないと惰性で生きるしかありません。
趣味や生き甲斐で不安をごまかして生きています。
そういう私たちの想像もできない、
人生の目的を果たそうと約束しておられる
阿弥陀仏の本願は、想像を絶する大変すばらしいお約束なので、
難思といわれています。
次に「弘誓」とはひろい誓いということです。
阿弥陀仏は、すべての人と約束しておられます。
すべての人の人生の目的を知っているから、
その目的を必ず果たさせてみせるという
すべての人とのお約束ですから、ひろい誓い、
難思の弘誓といわれています。
難思の弘誓は難度海を度する大船
(親鸞聖人『教行信証』)
阿弥陀仏の本願は難度海を度する大船なんだ。
苦しみ悩みの絶えない人生の海を、
明るく楽しくわたす大きな船なんだ。
この船にのって難度海の人生を明るく楽しく渡るのが
人生の目的だ。
だから早く乗りなさい。
どんなに苦しくても自殺してはいけないのは、
この船にのるためなんだ。
この目的果たすまでは頑張らなければならないんだと
親鸞聖人はいわれているのです。
仏教を聞けば、生きているときに、
この阿弥陀仏の本願の船に乗せて頂いて
人間に生まれてよかったという絶対の幸福の身になれますから、
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