因縁果の道理
運命を生み出すのはすべて自分の行い
仏教では、私たちの運命の原因と結果の関係を
善因善果
悪因悪果
自因自果
と教えられています。
善い結果が来た時も、自分の種まきですが、
悪い結果が来た時も、自分のまいた行為の結果である。
いかなる場合も、人の行為を自分が受けるのだと
説かれています。
他人のまいたタネが自分に現れるという
「他因自果」ということは絶対にないと
教えられているのですが、
悪い結果が来た時には、
どうしても自分の種まきと思えないで、
「お客さんにこう言われたからやったんです」
「上司に言われた通りにやったらこうなりました」
人を恨んだり呪ったりしています。
本当に他因自果は絶対にないのでしょうか?
どうしても自分の種まきと思えない
身近で有名な例があります。
ある不幸な奥さん……
ある所に、とても働き者で、愛想も良く、
近所でも評判の奥さんがありました。
ところが、主人が働きもしないで、
競馬だ競輪だとギャンブルにうつつを抜かして
(他の女と)遊びほうけています。
たまたま家に帰るかと思えば、暴力を振るって
奥さんがパートで稼いだ金をまきあげて、
全部ギャンブルに使ってしまう。
(他の女には意外と気配りが行き届いているのに……。
どうして?)
このように、毎日、地獄のような生活を送っている奥さんは、
「自分が苦しんでいるのは、この夫のせい」
と思っています。
奥さんだけでなく、近所の人たちも、
「あの奥さんは、悪い夫のせいで苦しんでいる」
と思っています。
これは奥さんのせいではなくて、
夫のために苦しんでいる、
他因自果ではないでしょうか?
こんなひどい場合でも、例外なく、
自因自果なのでしょうか。
こういう場合も自因自果?
お釈迦さまは、そういう場合も
やはり自因自果だと言われます。
なぜかというと、この奥さんが苦しんでいるのは
夫のせいのように思えますが、
よく考えてみると、
世の中にこんな男がどれだけいても、
結婚さえしなければ他人ですから、
こんな苦しみはなかったのです。
ところが、この奥さんがこの男を好きになった。
そして結婚したから、こんな苦しみを受けることに
なったのです。
周りは冷静なので、当時、みんなこの男を見て、
「あの男だけはやめておけ」
と反対したかもしれません。
明らかにまずいことが一目で分かったのです。
それにもかかわらず、
反対を押し切り、
「恋は盲目☆」
と言って結婚してしまったのです。
結局そんな男を好きになって結婚したのが、
この奥さんが苦しんでいる原因です。
ですから、やはり自因自果です。
じゃあこの男は何?
では、このひどい夫は、一体何なのでしょうか?
「ナワをうらむ泥棒」のナワと同じです。
これを仏教では「縁」といいます。
結果が現れるには、実は「因」と「縁」があって、
それらが結びついた時に初めて結果がおきます。
これが、仏教の因果の道理です。
正確に言うと「因縁果の道理」ですが、
縁が省略されて因果の道理と言われています。
仏教の因縁果の道理
因と縁がそろってはじめて結果が起きるというのは、
例えば米はどうやってできるかといいますと、
因は籾だねです。
ところが、その籾だねをパソコンやスマホの上に
置いておいても、米にはなりません。
籾だねだけでは米はできないのです。
それは、縁がないからです。
水分とか空気とか温度とか、
そういうものが縁となって、
やがて米を作るのです。
そのような色々の条件が縁です。
籾だねという因と、
水とか空気とか温度とか、
縁がそろって初めて米ができるのです。
籾だねがなければ、水と空気と温度がそろい、
どんなに太陽が輝いていても、
どんなに栄養があっても米は出てきません。
ですが、たねがあっても、縁がなければ、
結果が出てきません。
この奥さんの例でいえば?
この奥さんの例でいうと、
この男を好きになった心が因なのです。
そこにこの男という縁が出てきて、
今苦しんでいるという結果が起きているのです。
ですから、やはり自因自果であって、
絶対に他因自果ではないということです。
特に何らかの理由で感情的になると、
現実が見えなくなってしまいがちです。
そうなると、正しいたねまきができず、
ますます不幸や災難の悪循環に陥ってしまいます。
そのときは苦しいのですが、
長期的に見ると、結局、幸せがやってきますので、
事実をありのままに見つめて、
適切にたねまきを変えて行きましょう。
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