絶対の幸福・煩悩即菩提とは?
苦悩の根元は無明の闇という後生暗い心
無明の闇が一念で破れると、
絶対の幸福になれるのですが、
それはどんな幸せな世界なのか、
煩悩は一体どうなるのかというと、
煩悩即菩提となります。
煩悩即菩提の「即」とは一念です。
一念でそのまま、
ということです。
「煩悩」とは、
欲とか、怒りとか、愚痴の心とか、
私たちを煩わせ悩ませるものが
108あります。
その108の煩悩が、
そのまま菩提に変わるということです。
「菩提」とは、
喜び、幸福ということです。
そう聞くと、
煩悩なくなるのかなと思いますが、
違います。
煩悩のあるままが、菩提になり、
その菩提がそのまま煩悩なのです。
煩悩がなくなるのではなくて、
そのままありみます。
「即」は、そういうことを表しています。
それを親鸞聖人は和讃に
罪障功徳の体となる
こおりとみずのごとくにて
こおりおおきにみずおおし
さわりおおきに徳おおし(親鸞聖人)
と言われています。
「罪障」とは、煩悩のことです。
その罪障が、功徳の体となる。
「功徳」とは幸福のことです。
煩悩がそのまま喜びの元となるということです。
そのまま(体となる)とは?
「体となる」とはどんな関係かというと、
次に「こおりとみずのごとくにて」
と、氷と水にたとえて教えられています。
「こおりおおきにみずおおし」とは、
氷が大きければ水も多くなる
ということです。
氷が小さければ水も少しになりますし、
氷が大きければ、水の量も多くなります。
それと一緒だ、と教えられています。
借金がそのまま貯金となる。
10万円借金持ってる人は、
そのまま
10万円の貯金になります。
100万円借金持ってる人は、
そのまま
100万円貯金になります。
たくさん借金がある程、
たくさんの貯金になります。
それを親鸞聖人は、
罪障が大きければ大きいほど、
功徳も大きくなるとたとえられています。
このたとえが煩悩即菩提と少し違うのは、
借金が貯金になったら、
借金はなくなりますが、
煩悩は減りもしなければ無くもなりません。
そのまま菩提となります。
よくある煩悩即菩提の聞き誤り
こう言うと、
「なんだ、じゃあそのままでいいんですね☆」
という人が、ときたまあるのですが、
煩悩即菩提は、
「そのままでいいんだ」
ということではありません。
そのままでいいのなら、
仏教を聞く必要がないですよね。
また他にも、
「なるほど、じゃあこれからは煩悩即菩提を心がけます」
という人もありますが、
心がけたからといって、
できるものではありません。
比叡山で修行している人たちも、
長期間の難行苦行をもってして、
できた人がいませんから。
煩悩即菩提は、
無明の闇が破れた人は、
菩提がそのまま喜びのたねになる
ということです。
だから、苦悩の根元は、
煩悩ではなくて、無明の闇なんだと
仏教では教えられています。
無明の闇が一切の苦しみの元ですから、
無明の闇が破れれば、煩悩即菩提となって
「人間に生まれてよかった」
という生命の歓喜が起きます。
ですから、一番大事なのは、無明の闇が破れたかどうかです。
どうすれば無明の闇が破れるの?
では、どうすれば無明の闇は破れるのかというと、
仏法は聴聞に極まるの一本道です。
聴もきくなら聞もきく、聞く一つで、
無明の闇は破れます。
一日もはやく無明の闇が破れるところまで
聞法精進いたしましょう。
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