欲望をなくして幸せになる方法

欲望をなくして幸せになる方法


欲望について仏教では?

仏教では、私たちの苦しみの原因は、
お金や物がないからではなく、
欲の心に代表される、
煩悩だと教えられています。

煩悩」とはわずらわせ、悩ませるもの
ということで、欲や怒りやねたみそねみの愚痴など、
全部で108あります。

その一番にあげられるのが
貪欲」(とんよく)で、
欲の心のことです。

それで仏道を求める人は、
煩悩をしずめようとして、
山で修行をするわけです。

煩悩と戦って、なくせれば幸せになれる
ということです。

では修行で煩悩をなくせる?

では、修行によって煩悩の火を消し、
悟りを得ることができるのでしょうか。

現在でも修行が行われている比叡山では、
千日回峰行という難行があります。

この修行をする人は、最初のしばらくは、
結界という
「ここから出ちゃいけないゾーン」
から出ずに修行をします。

そして、比叡山の峰道(みねみち)を峰から峰へ
大体一日40キロ歩きます。

マラソンならたいてい平地ですが、
比叡山はアップダウンが激しいので、
はるかに過酷です。

千日間の間には、9日間の断食もあります。
このときは、水も飲んではいけないという
厳しいものです。

普通の人は3日水を飲まないと脱水症状になり、
たいてい一週間水を飲まなければ死にますので、
もう普通じゃない世界です。

それも、一度始めたが最後、
もし途中で挫折した時は、
持参の短刀で自害することになっています。

このような荒行を完遂しても、
煩悩をなくしてさとりを得るなど、
まだまだ全然です。

私たちなら、そこまでやらなくても、
ダイエット程度でも、
なかなか難しいですよね。

ダイエットでしばらく小食にしていると、
余計食べたくなります。

一食抜きでもしたら、ますます食べたくなります。

ダイエットができたと思っても、
リバウンドで、ダイエット前よりも
体重が増えてしまう場合もあります。

欲の心は、しずめようとすればするほど、
噴き上がってくるのです。

煩悩をなくそうとすればするほど、
余計激しく燃え上がるとすれば、
煩悩はなくせるのでしょうか?

実際、修行をして煩悩をなくせた人は?

比叡山が開かれてから、
比叡山を開いた最澄を始め、
たくさんの人たちが難行苦行に励んで来ましたが、
煩悩をなくせた人は、一人もいませんでした。

例えば、約800年前、比叡山で修行された
親鸞聖人も、煩悩をおさえよう、少なくしよう、
できれば断ち切りたいと、
9歳で出家されてから20年間、
血のにじむような難行苦行をされました。

大曼の難行という千日回峰行以上の難行まで
完遂されたそうですが、
それでもやはり、煩悩をなくすことはできずに苦しまれた
胸の内が『歎徳文(たんどくもん)』に記されています。

定水をこらすといえども識浪しきりに動き、
心月を観ずといえども妄雲なお覆う。
しかるに一息追がざれば千載に長くゆく。(『歎徳文』)

「定水」とは静かな心です。
比叡山は京都と滋賀県の間にありすまので、
比叡山から下を見ますと、琵琶湖が見えます。
修行は特に夜、打ち込みます。

心を静めようとして下を見ると、
琵琶湖の湖水が、月の光で照らされて鏡のようです。
親鸞聖人は、
「ああ、あの琵琶湖の水面のように、
 静かな心になりたい」
静かな心になろうと日夜つとめられました。

ところが、心をしずめようとすればするほど
「識浪しきりに動き」と
心の波が逆巻いてくる。

「識浪」とは心の波です。
心をしずめようとするほど、
しきりに動く心の波が見えてきた。

次の「心月を観ずといえども」の「心月」は、
さとりの心を月にたとえられています。

天を見上げれば、月がこうこうと冴えわたっている。
「あの月が、ハッキリと見えるように、なぜ親鸞の心に、
さとりの月を見ることができないのだろうか。
それどころか、見えてくるのは胸一面覆っている妄雲だ」

「妄雲」とは煩悩のむらくもです。
欲や怒りや愚痴で、
人に言えないようなことが思えてくる。

なぜ夜空に輝く月のように、
後生明るい心になれないのだろうか。

今死ぬとなると、暗い心しか見えてこない。
「こんな暗い心のままで、死んでいかねばならぬのか。
こんな一大事を持ちながら、どうして無駄な時を流せよう」
と、どうにもならない心に泣かれています。

親鸞聖人のような方が20年間難行苦行されても、
落第されたということは、私たちには
とても無理ということです。

どうして煩悩をなくせないの?

それというのも、私たちは
煩悩具足の凡夫」だからです。

「煩悩具足の凡夫」とは、
「凡夫」とは人間のことです。
「具足」とは、それでできている、
塊ということです。

雪だるまから雪をとったら何も残らないように、
人間から煩悩をとってしまったら、
人間というものがなくなります。
煩悩の他には何もない、100%が煩悩です。

煩悩でないものが私で、その私を
私ではない煩悩が苦しめているのなら、
私から煩悩をとることもできるでしょう。

ところが、自分が煩悩となったら、
なくするということは自分をなくすことになりますから、
それはできません。
不可能です。

では人はみな「煩悩具足の凡夫」なら、
苦悩の根元は本当は何だと
仏教で教えられているのでしょうか?
いよいよ次はその秘密を公開します。

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