人生が全く変わる反省とは?自業自得について
運命の原因と結果の関係
前回、三世十方を貫く大宇宙の真理、
「因果の道理」について、
前回、お釈迦さまの教えられた
運命の原因と結果の法則は、
善因善果
悪因悪果
自因自果
だとお話ししました。
これは幸福という運命は、善い行いが生み出したものであり、
不幸や災難という運命は、悪い行いが引き起こしたもの、
善いのも悪いのも、自分の運命のすべては、
自分のまいたタネが生み出したものですよ、
ということです。
誰しもそういうことを信じていますから、
悪いことはやめて、善いことをしようと
心がけているはずです。
善い運命が欲しいから善い行いを心がけますし、
悪い運命がいやだから悪い行いを慎みます。
自分のたねまきが他人へ行くことはあるの?
そして、自分のやった行いの結果は自分にかえってくる。
「自因自果」です。
人には絶対に行きません。
自分のやった行いの結果が人に行くというのは、
「自因他果(じいんたか)」といいますが、
「自因他果」は絶対にありません。
自分が勉強をすれば、自分の成績が上がるのであって、
友達の成績が上がると思ったら、
誰も一生懸命勉強する人はいないでしょう。
自分がやった行いの結果が人に現れる
「自因他果」は絶対にないと、仏教では教えられています。
他人のたねまきが自分に来ることはあるの?
同時に「他因自果(たいんじか)」
ということも絶対にありません。
「他因自果」とは他人のまいた種まきの結果が自分に来る
ということですが、それも絶対にありません。
そんなことがあったら大変です。
隣にお住まいの年配の方が、
喉にやわらかいもちをひっかけた。
すると私が苦しみ始めた。
ありえません。
「自因他果」ということも絶対にないし
「他因自果」ということも絶対にない。
それが、三世十方を貫く仏教の教えです。
三世十方を貫く大宇宙の真理は、
「自因自果」なのです。
善いのも悪いのもみな、
自因自果です。
ところが自分のたねまきと思えないときが……
ところが私たちは、
善い結果が来た時は、
「これは自分の種まきだ。
あいつのせいで儲かったのではなく、
自分が頑張ったからだ」
と「善因善果 自因自果」を認めます。
ところが悪い結果が来たらどうでしょうか。
私たちは、自分に不幸や災難が来た時、
自分が苦しければ苦しいほど、
「私がこんな目にあったのは、あいつのせいだ。
あいつがあんなこと人に言うから私が
こんな辛い立場にたったのだ」
と思います。
全然「悪因悪果 自因自果」
と思えません。
善い結果が来たときは、
「これは自分が善い種まきしたからだ」と思うのに、
悪い結果が来たときは、
「あいつのせい、こいつのせい」
と思うのは、論理一貫していません。
三世も貫かなければ、十方も普かない、
自分勝手な考えです。
善い結果来たら、
自分の努力の結果。自因自果、間違いない。
悪い結果来たら、
あいつが悪いこいつが悪いと恨んだり憎んだりする。
他因自果。
ということは、
大宇宙の真理を自分の都合のいい時だけ正しい。
自分の都合の悪いときは信じられない。
そのように、大宇宙の真理を
自分の都合によって使い分けしています。
それはまったく自分本位ですから、
大宇宙の真理である因果の道理がわからず、
迷っているということです。
もし因果の道理が知らされていたら、
自分に悪い運命が来た時は、
「これは自分がこういう種まきしてきたからだ」
と懴悔の心が起きてくるのです。
因果の道理が知らされるとどうなるの?
仏教の根幹は因果の道理ですから、
仏教を信ずることを「深信因果(じんしんいんが)」
といいます。
因果の道理をもう間違いのない真理だと深く信ずることです。
仏教を聞いて、
善因善果
悪因悪果
自因自果
の因果の道理が知らされますと、
ろくな種まきをしていないと知らされますから、
善い結果がきた時は、仏祖のご加護と感謝となります。
感謝となるから、もっと頑張らなければと努力となります。
悪い結果がきた時は、悪い種まきを懺悔せずにおれません。
ですから因果の道理が知らされると、
善い結果が来たときは感謝、
悪い結果が来たときは懺悔となります。
このように、仏教を深信した人の生活は、
感謝と懺悔になります。
それには、よくよく因果の道理を真剣に聞いて、
原因を深く見つめてゆくことが大切です。
特に大きなポイントは、
悪果がきたとき、自分の行いを反省できるかどうかです。
実行していきましょう。
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