追いかける程遠ざかる人生の目的
あなたは幸せですか?
あなたは幸せですか?
誰しも日常の中で、ふと、
人生ってこんなものなのかな……。
と思うときがあるのではないでしょうか。
「毎日が同じ事のくり返し。
これで自分の人生は終わってしまうのだろうか」
とか、
「今の人生には、心からの喜びや幸せが感じられない。
どうしたらもっと幸せに生きられるのか」
とか。
ふとそんなことを考えるとき、
自分は何のために生まれてきたのか、
と、人生の目的を考え始めます。
昔から人生論の本などは、少なからずあったのですが、
最近は特に、人生について論じる人生本が増えてきました。
昔よりも生活が豊かになって、
生きていくだけなら何とかなる時代になるほど、
ではどこに向かって生きるのかを
みんな考え始めるのかもしれませんね。
「だけど今は仕事が忙しすぎて、
人生の目的なんか考えているひまがない」
「家事や育児が忙しくて、時間がないけど、
何かもっと、これをしたら満足できるという
自分の人生の目的があるはず」
「自分は本当はこんなことがしたいんだけど、
家族も反対するだろうし、一歩が踏み出せない」
と思う人もあると思います。
おそらくそういう人は、
色々な分野でイキイキと活躍している人を見ると、
「ウキウキワクワク自分の人生の目的を生きているんだろうな」
「毎日、色々な人と出会って、社会に貢献する
自分にしかできないプロジェクトに取り組んで、
充実しているんだろうな」
と思うことでしょう。
そこには不穏な影が……
しかしながら、
そういう人生の目的を想像している人は、
すでに、どこまで行っても人生の目的が見つからない方向へ
歩み始めている可能性があります。
なぜなら、そういう人が考えている「人生の目的」は、
達成したときは嬉しいのですが、
喜びは一時的で、続きません。
すぐに満足できなくなって、次の目標を目指したくなります。
そんなことないですか?
この方向に向かって行った人の場合、
どんなすごいことを成し遂げた人であったとしても、
その人に
「あなたはもう人生の目的を果たしたんじゃありませんか?」
と聞くと、
「その通りです」
という人はありません。
「いやいや全然です」
「まだまだです」
と言います。
すごいことを成し遂げていない人は、
もちろん、まだまだ全然ですが、
この方向では、どれだけ進んでも、
「これでよし」
とは思えないのです。
それは昔からそうだった……
これを昔から、
越えなばと 思いし峰に来てみれば
なお行く先は 山路なりけり
と言われています。
「越えなばと 思いし峰」というのが、
自分の得意なこととか、やりたいこととか、
自分で見つけた目的ですね。
その目的達成を目指して、
坂道を登っていきます。
そして努力のすえ、ついに達成!と思うと、
その向こうには
「なお行く先は 山路なりけり」
また新たな山路が見えてきます。
今度は、その峰を越えねばと思って
登っていくのですが、ようやく峰にたどりつくと、
「なお行く先は 山路なりけり」
また次なる峰が見えてきます。
次の峰を登っても、また次の峰。
その次の峰を登っても、さらに次の峰。
どこまで行っても、次の峰が見えてきて、
やがて体力が尽きたところで、
歩き倒れになってしまう……
ゴールのない悲劇の山登りです。
自分の得意分野で活躍したり、
自分にしかできないことで社会に貢献したり、
そういうことには、
「これでよし」という完成がないんですね。
どれだけのことをしても、
はてしなく歩き続ける道のりです。
その究極の事例
だからあれだけ思い描いた通りを実現したであろう
徳川家康でも、
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし
と言っています。
これは、家康自身のことですので、
「人の一生は」とは、「オレの一生は」
ということです。
「重荷」というのは苦しみですから、
「重荷を負うて遠き道を行くがごとし」
ということは、生涯、苦しみをおろすことはできなかった。
天下を取っても、苦しみはなくならず、
次の目標が見えてきた……
征夷大将軍の地位を得ても、苦しみはなくならず、
次に目指すものが見えてきた……
徳川幕府を開いても、苦しみはなくならず、
さらなる目標が見えてきた……
ということです。
その上、「遠き道を行くがごとし」ですから、
果てしなく歩き続けなければならなかった……
何をしても、何を手に入れても、
死ぬまで苦しみをなくすことはできなかった……
と述懐しています。
これでは、死ぬまで苦しみながら歩き続ける
悲劇の人生です。
ですから、みんな、
自分のやりたいことをするのが
人生の目的だと思っていますが、
その方向にはどこまで行っても、
達成もなければ、ゴールもありません。
つまり、もしあなたの想像している、
それが人生の目的だと思い込んでしまうと、
死ぬまで歩き続ける大変な人生になってしまう、
ということです。
なぜなら──それは、本当の人生の目的ではないからです。
えっ?これが人生の目的じゃないとすれば、
一体どうすればいいの?
と思うかもしれません。
本当の人生の目的は、仏教に教えられていて、
それを達成して、
「人間に生まれてよかった」
と大満足できるものです。
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